<水の流れ> (私の一日NO79

NO2620251026() 1016日〜18日クラブツーリズムのツアー 「広島・山口6つの日本100名城制覇と津和野城3日間」で福山城・安芸郡山城・広島城・岩国城・津和野城・萩城とお城に関しての知識が増えました。
 有意義な旅でして、お城好きな仲間が増えて帰ってきました。一度お読みくだされば幸いです。
NO2620251014(火)先日11日(土)岐阜県瑞穂市民センターで瑞穂市ふる里学ぼう会があり、講師として招かれ「竹中半兵衛重治公の生涯」と題して講演をしてきました。次回は令和89月の上期講座に講演の場を設けて頂きました。
 スポーツの日13日(月)の祝日に岐阜県不破郡垂井町文化会館にて午前の部があり、滋賀県立大学名誉教授中井均氏を講師として垂井町歴史講演があり、題「江濃三城と竹中半兵衛〜菩提山・玉城・横山城」の講演を聴いてきました。
 16日から18日の23日にクラブツーリズム主催の「広島・山口5つの日本100名城制覇」に出かけます。
 16日名古屋(7:008:00)<新幹線普通車指定席>福山駅着・福山城(全国唯一の天守北側の鉄板張りを復元)・郡山城(毛利家代々の居城/ナビゲーター同行/ハイキング初級 標高差約180m、歩行時間約150)広島・広島のホテル()
 17日広島ホテル発 広島城・錦帯橋岩国城(往復ロープウェイ利用/初代藩主の吉川広家が築城)岩国のホテル【A ()
 18日 岩国津和野城(リフト利用/石垣が見事な津和野藩:亀井氏の居城)・萩城(萩藩毛利家の本城)・新山口駅発<新幹線普通車指定席>名古屋(18:3020:00)
 日本100名城には福山城・安芸郡山城・広島城・岩国城・萩城の5城が入っています。

NO2520251012(日)先日の2日(木)午後、産経新聞出版取材班の方を幸運にも案内する機会を街角案内の会から頼まれました。
場所は竹中重治公のゆかりの地である岩手地区、五明稲荷神社(松寿丸・イチョウの木)竹中氏陣屋跡・ 禅幢寺(半兵衛のお墓)八幡神社(菩提山への入口である大手門)・町内にある半兵衛公の銅像(竹中氏陣屋跡垂井駅前・タルイピアセンター内)の3カ所を案内。
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月に発行されるNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」のガイドブックには案内人の写真が幸運にも掲載されているかも。楽しみしています。
次に,460回の応募問題の「三角形の面積の二等分+NHKの算額」を出題します。
当初は作図の問題だけでしたが、<92()NHK総合TV午後11時からの「最深日本研究 和算 算額」で放送問題に興味と関心を持ったから,別問題として扱いました。>、募集期間はお城巡りのツアーの関係で1111日までとしました。
応募された第459回の「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また,459回の応募解答です。
この問題がここまで発展拡張された皆様の深い考察には目を見張るものがありました。出題者としては嬉しい限りです。応募された解法には感動の連続ばかりでした。応募者の皆様に敬意を表します。改めて深く感謝申し上げます。

NO242025917(水)静岡県山中城跡・神奈川県小机城跡・千葉県本佐倉城跡・佐倉城跡・大多喜城を見学して来ました。ご一読いただけたら幸いです。
 

NO232025914(日)昨日13日(土)に千葉県の3城をクラブツーリズムのツアーで見学してきました。以下の行動表
上野(8:00)--本佐倉城跡(千葉氏後期の本拠地となった城)--佐倉城(巨大な角馬出と空堀は必見)--大多喜城(※二の丸をご案内)--上野(18:00予定)
 前泊となりますから、12日の午前中に三島駅から、バスで山中城跡を(戦国時代の永禄年間(15581570年)に、小田原城を本拠とする北条氏康が築城した城。日本百名城に選定されており、国指定史跡として歴史的な価値のある城跡です)を散策しました。
午後は新横浜駅駅から小机駅へ徒歩15分程度で小机城跡(小机城の縄張は、半島形の突出た丘陵の上部を大きく平らに削り、一列に三つ程度の曲輪を置き、その並んでいる曲輪の側面に腰、帯曲輪を築いているということです。城郭全体を二重の土塁と空堀でぐるりとめぐらす縄張で、後北条氏特有の築城法です。)を散策し、上野駅の近くのホテルで一泊しました。
次に,459回の応募問題の「(単項式)×等比数列の和」を出題します。一般的な解法だと計算に時間がかかります。画期的な解法を考えてください。募集期間は1012日まで。
応募された第458回の「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また,458回の応募解答です。
 

NO222025817(日)今年の暑さは例年に増して長く厳しく残るようでございます 読者の皆様くれぐれもお身体をご大切にして、連続問題を解いてくだされば幸いです。
私は、残暑の中、畑の野菜に水やりして過ごしています。
次に,458回の応募問題の「xの値域」を出題します。グラフを利用して解けた喜びを味わってください。募集期間は914日まで。
応募された第457回の「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また,457回の応募解答です。

NO212025812(火)先日、ニックネーム「r-de-r」さんから第392回大垣八幡神社奉納算額2の第7問未解決問題の解答をコンピュータを使った解析解で応募されました。
応募解答の第7問の所にPDFとして貼り付けておきまた。これで未解決から解決できたことは感慨深いことになりました。「r-de-r」さん、ありがとうございます。
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日9日と石川県の七尾城跡・富山県高岡城跡・金沢城跡を見学して来ました。ご一読いただけたら幸いです。
 

NO202025720(日)朝7時から地区のラジオ体操大会に参加してきました。
次に,457回の応募問題の
「定積分」を出題します。工夫しながら解けた喜びを味わってください。募集期間は817日まで。
応募された第456回の
「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また,456回の
応募解答です。

NO192025717(木)午前10時から 関ケ原ふれあいセンターにて、第3回ふるさと関ケ原歴史講座が講師淡海歴史文化研究会 所長太田浩司氏を迎えて、
秀吉による二度の大返しについて〜「中国大返し」と「美濃大返し」〜と題して、それらが日程的に真実か否かを検証された。
当日の資料をお読みください。
来年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」ではどにように脚色されるか興味深い場面です。
太田氏は資料の中で「史料5」杉若無人書状(天正1068日付 松井猪介(康之)宛て『松井家譜』という書状の記述が事実の可能性が高いと言われたことが印象に残った。

NO18202577(月)76日午後1時から340分の間 関ケ原ふれあいセンター大ホールで下記の講演を聴いてきました。
岐阜関ケ原古戦場記念館講演会 羽柴秀長の実像―天下人秀吉を支えた「弟」の生涯 講師 柴 裕之
要約 1 羽柴秀長は江戸時代末期に編纂された「系図纂用」では天文9年(154032日生まれとされている。また、奈良国立博物館に所蔵される天正十八年十月吉日付けの羽柴秀長都状に「秀長」五十一」とあることから、逆算して秀長は天文九年生まれである。
2 秀長の幼名は一般的に「小竹(こちく)」として知られている。しかし、秀吉も筑阿弥の子として「小竹」と呼ばれていたことが、『太閤記』等にみえる。『太閤素生記』では、秀長は「小竹」と呼ばれていたことについて、「是ハアダ名也」と記す。→「小竹」は渾名で幼名ではない。幼名は分からない。
3 初名は「木下小一郎長秀」、「長」は信長からの一字拝領である。
4 織田家が安芸毛利家と敵対すると、天正5年(157710月、秀吉が中国地方方面の軍事司令官になると、秀吉に従って活動、特に但馬国の攻略で活躍する。但馬国竹田領の統治。但馬竹田城の城代として、天正8年(1580)以降は織田大名秀吉の領国下で但馬国の大部分の支配を担当する。
5 「柴 裕之×小和田哲男」両氏のトークショーでは、「秀長の功績の一つに、15861027日(天正14年)に豊臣秀吉が大坂城で徳川家康と歴史的な会見させたことである。」と話しておられた。  以下は、この二人のトークの中ではなっかたことです。
  天正14年(1586年)1026日、大阪に到着すると、翌日の会見に備えて秀吉の弟・秀長の屋敷に宿泊しました。
  秀長邸で家康と秀長が会談していると、そこに思わぬ来客が…。
  現れたのは、明日会見する予定の関白秀吉でした。秀吉は家康の手をとると、天下泰平のために臣従してほしいと話したと。
  一方の家康は、秀吉の着ていた陣羽織を所望。秀吉がその理由を問うと、家康は…。
  「もう二度と殿下に陣羽織を着させない」(戦いがあったときは家康が成敗する)と宣言したという逸話が残ります。
  こうして、秀吉との間にあったわだかまりを解いた家康は、翌日大坂城に登城。
  秀吉と謁見すると、諸大名の前で丁重にあいさつし、秀吉への臣従を誓いました。

  さて、来年の大河ドラマ「豊臣兄弟」の中ではどのように演出されるでしょうか。楽しみです。 6 「もしも、秀長が1591年に亡くなっていなくて、兄秀吉の死後生きていたら、どうなっていたでしょうか。」と話が進んでいった。
 「豊臣政権はその後引き続き存続して、秀長が後見人になり、関白秀頼になるまで支えていくことになるでしょう。」と。
 詳しくは、当日の資料をお読みください。

NO172025622(日)15日から17日と23日で「北九州7つの日本100名城3日間」をツアーにて参加してきました。
感想 初日、吉野ケ里遺跡で雨に降られたのが残念でした。三日目は気温が高くなり、夏日の気温となる。平戸温泉・国際観光ホテル旗松亭に泊まれたのは、良い思い出になった。
福岡城という名は、黒田氏の故地である備前国邑久郡福岡(岡山県)に由来している。
お城巡りのツアーに参加していると、中には過去ご一緒に参加した人もいて、お城の話が気軽にできて楽しかった。これで、日本100名城は66城、続日本100名城は16城訪れたことになる。
 次に,456回の応募問題の「高次方程式」を出題します。解けた喜びを味わってください。募集期間は720日まで。
応募された第455回の「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また,455回の応募解答です。

NO162025611(水)5日から6日と知人と一緒に「皇居参観・水戸城跡・小田原城」を見学して来ました。
私の趣味で御城印を集めに各地のお城を見学して回っています。日本100名城はこれで59城・続日本100名城は16城になっています。江戸城の御城印は手に入りませんでした。
 今回の旅で、水戸光圀公と源義公が同じ人とは知りませんでした。もう一度訪れて、もう少しゆっくりと時間をかけて皇居東御苑・水戸城跡・小田原城内を隈なく散策して、見識を深めたいです。
それにしても、5日の皇居参観は運良く許可通知を頂いたのは本当に幸運でした。

NO152025525(日)先日、訪れた二本松城のときに、ガイドさんから「戊辰戦争で少年隊の悲劇があったのは会津若松だけでなく、ここ二本松でも同じように尊い命を落とした少年がいたのです」と。この出来事を知らなかった私は驚愕した思い出があります。
詳しくは、
二本松少年隊をご一読ください。

では次に,455回の応募問題の
「最大値・最小値」を出題します。工夫して解けた喜びを味わってください。募集期間は622日まで。
応募された第454回の
「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また,454回の
応募解答です。
   

NO142025522(木)516日から17日に12日で初めて沖縄に行って「琉球王国6城巡り」をツアーにて参加してきました。
 沖縄の歴史を知らなかったが、このお城巡りで知り得た。当時、文字をもたないから伝承・伝承が多い。
死後は風葬だから洗骨後に骨を入れる甕が必要で、それを収めるお墓が必要。
沖縄にもお城造りの名手護佐丸がいたことを知る。座喜味城と中城城で有名だった。
ガイドさんから、1609年の薩摩の侵攻と1945年の日本軍と米軍の戦闘で高所にあるお城が大砲で破壊された話が度々出てきた。米軍基地は沖縄に31カ所あると言われた。
 ガイドさんの説明で沖縄戦での印象的な出来事を知った。
「住民が逃げ込んだガマで1つは約800人が集団自決、一方、約千人がいたが、その中の一人にハワイ帰りの人がいて、アメリカ人は悪い人でないから、安して投降しようと皆に伝えた。捕虜になったものの米軍からは命は取られずに助かった」とお話を聞いた。
 第二次大戦時の沖縄戦。ここ浦添城(前田高地)は、日本軍の司令部のあった首里を見渡すことができるため、日米両軍による死闘がその一帯で繰り広げられたと話された。
一度ご一読くだされば嬉しい限りです。

NO132025427(日)現在,お城巡りの旅は日本100名城では54城、続日本100名城では14城と数えました。これからは体力と相談しながらお城巡りをしてきます。
では次に,454回の応募問題の
「素数の問題」を出題します。募集期間は525日まで。
応募された第453回の
「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また,453回の
応募解答です。

NO122025422(火)417日〜19日にクラブツーリズム「福島・山形・宮城 南東北6城巡り」ツアーに参加してきました。白河小峰城・会津若松城・二本松城・仙台城・多賀城・山形城のどのお城でも桜は満開でして気持ちよく見学できた。
二本松城内にある「旧二本松藩戒石銘碑」の言葉に感銘を覚えた。「爾砲爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺」意味は、「お前(武士)の俸給は、民があぶらして働いたたまものより得ているのである。お前は民に感謝し、いたわらねばならない。この気持ちを忘れて弱い民達を虐げたりすると、きっと天罰があろうぞ。」、と解釈されている。ご一読くだされば幸いです。

NO112025410(木)18日(火)に御城印集めに一人で信州松本城へ行ってきました。
日本100名城・続日本100名城のブームにあやかって次々に現地に行きたくなり、五重六階の天守としては日本最古を誇る松本城を見学できたことは感慨無量の気持ちになり帰宅できた。ご一読くだされば幸いです。

NO102025330(日)29日、30日に師匠寺の山門西法寺の本堂にて,宗祖親鸞聖人御誕生八五〇年と立教開宗八〇〇年と住職継承奉告法要の慶讃法要が行われています。2930日と年行としての役目があり,7時に出かけます。
そこで、29日の夜遅くに更新させていただきます。
では次に、第453回の応募問題の
「ヘロンの三角形」を出題します。募集期間は427日まで。
3辺の長さとその面積がともに整数となる三角形をヘロンの三角形と言います。3辺の長さが3,4,5の面積は6,これがその例になります。
応募された第452回の
「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また、第452回の
応募解答です。

NO92025316(日)青春18きっぷっを利用して、910日と和歌山城・岸和田城・明石城・尼崎城・大阪城を見学して御城印を集めました。ご一読くだされば幸いです。
さらに、1213日と
福知山城・丹波亀山城址・伊賀上野城・松阪城跡を見学して御城印を集めてきました。ご一読くだされば幸いです。
名城巡りのも70城近く訪れたことになる。藤堂高虎が携わったお城が随所にみることができ、彼の建築学は現代に通じる高い技術力で感激を覚える。大坂城天守の作事奉行だった小堀遠州は黒田如水、藤堂高虎、加藤清正と並ぶ築城の名手と言われていることを知る。
築城の名人と言っても以前から知っている3人は普請(土木工事)を中心とする築城名人ですが、小堀遠州は作事(建築工事)を得意とする築城の名人です。また、自然地形を利用した涌泉を引いた庭園を造りや茶人としても有名です。

NO82025313(木)9日の日曜日から青春18きっぷ5日間を利用して、早朝6時半に家を出て、18時過ぎに帰ってきて、9つのお城巡りをしてきました。
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日は和歌山城と岸和田城。10日は明石城と尼崎城と大阪城。11日は雨降りでして一日家で休養、この日に信州松本城への行く予定でしたが延期して後日見学に計画変更。12日は福知山城と丹後亀山城跡。13日の今日は伊賀上野城と松阪城跡を見学してきました。4日間お城の見学時間とJR路線のダイヤを上手く利用して事前の計画通りに行動してきました。
御城印とお城や石垣の写真を撮影できたことは大満足の旅でした。後始末が大変ですが、後日、旅日記で報告する予定です。
藤堂高虎の携わったお城は関ケ原歴史を語る会5月号の原稿です。ご一読くだされば幸いです。

NO7202532(日)昨日、令和6年度垂井町文化財保護協会総会に出席して、後の講演会を聞いて来ました。
 演題は「美濃の古墳時代を探る旅 垂井の古墳が語る地域の歴史〜栗原・大平古墳群を60年ぶりに解き明かす〜」
 講師は岐阜聖徳学園大学 特別研究員 中井正幸氏 
内容は「約60年前に発掘された栗原・大平地区の古墳群の整理を進めてみると、3世紀の墳丘墓のほか、5〜6世紀の造出し円墳や埴輪をもつ古墳、さらに7世紀の横穴式石室が同じ場所につくられていたことがわかったきました。
今回の講演では、こららの内容を養老の象鼻山古墳群や大垣の昼飯地区などの古墳とも比較しながら解説し、垂井の古墳が美濃の古墳時代に果たした歴史的役割について考察」という発表でした。
あかねの皆さん!栗原は3世紀からの古墳がある歴史のある村です。ローカルな話でお許しください。
では次に、第452回の応募問題の
「単位分数」を出題します。募集期間は330日まで。
応募された第451回の
「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また、第451回の
応募解答です。

NO62025227(木)25日に行われた岐阜県観光ガイド連絡会「犬山市研修会」に参加してきました。
犬山城を視察して行きました。現存する12の天守の中では最古と言われたことが印象に残っています。。ご一読くだされば幸いです。

NO5202525(水)先月行われた太相撲初場所で大関豊昇龍は3人よる巴戦の結果優勝しました。この巴戦は公平かと思い、3人の優勝する確率を考えました。最初に引くくじ引きは考えませんでした。
美しい数学の話の第59話の掲載しました。
大相撲の巴戦をご一読くだされば幸いです。

NO4202522(日)藤堂高虎が生涯を通して二十近くの城の築城に携わり、特に築城の設計図であり、城の防御を決める重要な部分である縄張りを幾度も担当している。藤堂高虎の城を原稿にしました。ご一読くだされば幸いです。
次に、第451回の応募問題の
「ガウス記号(3)を出題します。前回の続きでガウス記号の問題です。年号の2025の数字を取り扱っています。募集期間は32日まで。
応募された第450回の
「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また、第450回の
応募解答です。

NO32025122(水)20日月曜日岐大病院へ月1回の定期検診にいって来ました。血液検査の結果はIgG4の数値が相変わらず、750前後横ばいでしてなかなか300以下のはなりません。今日は半年毎のCT検査もしたが、結果は異状なしで一安心です。
帰りに岐阜駅から金山駅まで電車に乗り、
名古屋城を見学に行きました。天守閣の石垣は加藤清正の設計でして、この史実は知らなかった。ご一読くだされば幸いです。

NO2202515(水)先日の藤堂高虎の生涯は関ケ原歴史を語る会4月号の原稿です。ご一読くだされば幸いです。
藤堂高虎が生涯を通して二十近くの城の築城に携わり、特に、築城の設計図であり、城の防御を決める重要な部分である縄張りを幾度も担当していたことを調査するなかで知った。そこで、関ケ原歴史を語る会5月号に「藤堂高虎が携わった主な城等」として原稿にしています。
今年も御城印を集めに各地区のお城巡りに出かける予定です。今の所、行きたいお城は青春18きっぷを利用して、紀州和歌山城、信州松本城、丹波亀山城、近くの名古屋城をと考えています。
次に、応募された第449回の
「解答者を一覧」に整理しました。ご覧ください。
また、第449回の
応募解答です。
450回の応募問題の
「ガウス記号(2)を出題します。前回の続きでガウス記号の問題です。年号の2025の数字を取り扱っています。募集期間は22日まで。
 

NO1202511(水)令和7年乙巳(きのとみ)明けましておめでとうございます。
昨年までのご応募に深く感謝申し上げます。今年も引き続きご愛顧賜りますようよろしくお願いいたします。今年も新たな気持ちで頑張ってまいります。皆様のご健康とご多幸をお祈りします。
今回は、通常より早く元旦に合わせました。第450回の応募問題の
「ガウス記号(2)を出題します。前回の続きでガウス記号の問題です。年号の2025の数字を取り扱っています。募集期間は22日まで。
 新年のご挨拶です。
年賀状

NO78
:過去の「私の1日NO78令和611日〜令和711日のはここをクリック下さい。
NO11
NO78までは過去の日記

<自宅>  mizuryu@aqua.ocn.ne.jp

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